コラム5.小将棋の変遷

作成2000.4.6.更新2005.5.9.

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ここでもう一度年表を見てみましょう。

前節で、日本最古の出土駒が西暦1058年と解説しました。では、その駒の種類は何だったのでしょうか?  答えは、玉将3点・金将4点・銀将1点・桂馬1点・歩兵6点・不明な駒1点、でした。

 また、ここからが重要なのですが、駒と同時に出土した木簡の中に、当時の駒作りの人がおそらく文字の練習に使ったのであろうとされる木簡が見つかっていて、その中に『酔象』と書かれた個所が2点、見つかっていたということです。また、駒の裏側には金、つまり成金が書かれており、当時の将棋のルールがおぼろげながら判明しています。 酔象があったとされることについての驚くべき点は後の解説でおわかりになると思います。

 

平安小将棋(後の小将棋と区別するために平安小将棋とここでは呼ぶ事にしています。)

 さて、将棋のルールについての記述がはじめてされたのは、さらに時代が下って13世紀、算博士の三善為康(みよしためやす)が編纂したとされる『二中歴』(実際には『掌中歴』と『懐中歴』を合わせたもので、二中歴と呼ぶ)に、将棋(平安小将棋)と大将棋についての説明があります。大将棋については次節にして、将棋についての解説をします。(なお、二中歴は1210〜21年頃と推定されており、厳密には鎌倉時代です。 また、当時の記述は単に「将棋」と呼んでいました。)

  そこでの解説はとても簡単なもので、

一.王将・金将・銀将・桂馬・香車の動きを説明している。

二.敵陣3段目に侵入すれば、全て金将に成る

三.王将1枚になったほうの負け。

というものです。それ以外は何も説明がありません。

で、ここから導き出せるものとして、

一.当時の将棋には飛車・角行が無かった。

二.酔象の駒もこの時代には存在しない。平安大将棋にも存在しない。

三.盤についての説明が無く、8×8行なのか、8×9行か、既に9×9行だったのか、結論が出ない。

ということです。将棋に関する文献で、酔象が登場するのは、後の大将棋になってからで、少なくともこの時代の将棋・大将棋には酔象は存在していない事が判明しています。 ですが、先に解説した興福寺出土の木簡には酔象が存在しており、 将棋が日本に伝来したころの将棋は、平安小将棋・大将棋とさらに違うものであったと推定できるのです。

 さらに、盤についての説明が無い事で、当時の将棋(平安小将棋)は確かな配置図がわかっていません。ということで、ここでは平安小将棋を3通りに仮定してみます。

 a.8×8マスの平安小将棋

               
               
               
               

盤が偶数なので、王が中央配置にならない形です。

 ですが、インドのチャトランガと配置が似ているので信憑性があります。また日本の将棋史上、偶数盤は中将棋だけであり、その特異性を補うものとして、平安期の小将棋を偶数とすると、のちの中将棋誕生のおおきな参考となると、仮定できます。

 

b.8×9、9×9の平安小将棋

                 
                 
                 
                 
                 

8×9と仮定した場合には、黄色のラインを取り除いて考えてください。

後の時代の小将棋との共通性を重視するとこのケースが仮定できます。また、現代将棋ともほぼ共通しています。

 なお、平安小将棋と呼称しているのは、私独自の呼称であります。

当時の文献には単に将棋としか呼ばれておらず、また、現代将棋と小将棋との混同を避けるために、一般的に小将棋と呼ぶ事になっているのですが、ここでは後の時代の小将棋との混同も避けるために、平安小将棋と呼ぶ事に致しました。 また、厳密には鎌倉時代の文献でありますが、鎌倉初期のころの文献なので、たぶんそれ以前から遊ばれていただろうという仮定の元、平安小将棋としています。

 

小(少)将棋

 次に、小将棋に関する記述が出てくるのは随分と時代が下ってしまいます。(だから表中では移行期としています) 説明が長くなりますが、『二中歴』以降、大・小将棋の2種類が存在しましたが、当時の記録では小将棋のことを単に将棋としか記されていなく、15世紀前半ごろからようやく小(少)将棋と呼ばれるのが一般化していきます。 ですから、少将棋(以後、こう書く事にします。)が成立したのが、その当時だったのではないだろうかと考えられています。

 その少将棋について、詳しい解説がされるのはさらに時代が下り、なんと元禄7年(1694)『諸象戯図式』に、「小象戯」の説明があり、縦横9行、駒数42枚で、平安小将棋に飛車・角行・酔象が加わったものとなっています。<少将棋については別ページでルールとも解説しています。〔小将棋へ〕>

  しかし、この文献が書かれた当時には、すでに現行の将棋へと変化しており、当時の人が伝え聞いた話を元に書かれた物であろうと思われています。 少将棋が衰退した一幕については、後の現代将棋の発生の節で解説することとします。