中将棋紹介

2004.8.30.更新

 当ホームページが一番力をいれております、中将棋についての紹介をいたします。私なんかがいくら力説しようとも、やはり著名な方のコメントにはかなわない、と言う事で、以下じっくりとお読みくださいませ。

 

『中将棋のおもしろさ』    故・大山康晴名人

 中将棋というのがある。発祥の地ははっきりしないが、京阪神地方だけでしか指されていないから、その附近かもしれない。 昔、公卿の間でたのしまれたものとも聞いている。たぶんに普通の将棋と似ているが、盤のマス目が十二格、コマ数は九十二枚と大形である。ルールで大きなちがいは、取ったコマを使えないことだ。

 したがって、内容は単純に思えるが、そうでもない。歩のような小さなコマが微妙な働きをする今の将棋にくらべ、飛びゴマが多いから動きがハデである。 またコマの大軍が押し寄せてくるあたり、豪壮な感じで、ゾウの大群に追いかけられるような気持ちにもなる。

 立役者となるのはシシと言うコマ。四通八達の働きをし、しかも二手つづけて指せる特権をもっている。近づくコマをえしゃくもなく食い散らして、もとの位置に引き上げたり、コマの上をジャンプできるという怪物だ。 ちょっとでも油断すると、たちまちたべられて、タメゴロウさんになってしまう。だから八方に目を配り、用心深く指さないと、すぐ負けになる。しかし、怪獣シシゴンにも泣きどころがある。
 コマ数がすくなくなると、たべるコマが無いから、働きようにも働けない。それどころか、飛車とか、角のように、遠いところにいるコマにねらわれてくる。きのうまでの怪物が、きょうは空腹をかかえて逃げ回るなぞは、あわれというよりは、ユーモアさえ感じられてならない。

 初めはいじめつけられるんで、おごるもの久しからずと、手を打ちたいほどのおもしろさがある。

 もう一つ変わったのが存在する。スイゾウというコマで、相手陣の四段目にいくと、太子という名に変わる。太子は玉と同じ務めをするから、玉さまが二枚できるわけだ。こうなると、一枚の玉を取られても負けにならないから、王手飛車を食ったときでも、飛車をにげていいわけだ。“玉より飛車を大事がり”なぞとからかわれる程度の初心者には、うらやましいしだいだろう。 これに姫君ともいえるコマでもあれば、若き太子のラブロマンスといった場面もでてきたろうが、戦場なのだからそんなあまいフンイキ許されなかったにちがいない。 “天に二つの日なし、国に二人の王あるべからず”といった日本古来の思想からすれば、他から伝来したものであるような気もする。

 ルールでおもしろいのは、相手が王手に気づかないとき、ヒョイと玉を立てにして、“失礼しました”といえば勝ちになることだ。 日本将棋のように、玉を取ってはいけないとか、なんとか、うるさいことは生じないですむ。玉を立てられて、あっとオドロクなんかも、ユーモアがあって、なかなかいい。

 それにコマをちょっとでもマス目からハミださしたら、どうでもそのコマを動かさなければならないルールがある。コマを持ち上げて、もとの位置に戻す事はもちろんいけない。 シシに食べられようと、どうしようと、しかたがない。だから、どうしてもコマをスリ足で動かすようになる。コマをユビ先で押さえ、八方に目をやって、スッと動かす。コマ音などは全然聞かれない。が、音なしのかまえで戦うあたり、凄味があってなかなかいい。

 ただし、こま音高くなんていうことはないから、観戦記者泣かせともなりかねないわけだ。また“待った”なしということにもなるので、これには閉口、という人も多いだろう。

 私は小さいときからこの中将棋をよく指した。用心深く、粘りのある棋風といわれるのはその影響もあるだろう。中将棋は単独のコマが動くと、すぐ取られるから、協力が絶対条件だ。私がコマの連絡をなによりも大事に考えてコマ組づくりをするのも、中将棋を指したからだと思っている。

 以上、なかなかおもしろいゲームだが、いま知っている人はわずかしかいないようだ。仲間では大野さん、岡崎さん、中井さん、野村さん、山中さんぐらいのもの。これでは絶えてしまいそうな気がしてならない。日本将棋とは変わったおもしろさがあるから、なんとか後世に伝えたいものと思っている。

 私だけが、おもしろいというのなら、なにか宣伝めくが、普通の将棋で、私に金銀でも勝てない弱い人が“おもしろいですネェ”というのだから、興味をそそられる方には覚えてほしいものとねがっている。

(将棋世界昭和四十五年七月号より転載)

…以上、紹介でした。なお、本文ならびにルールなどの内容は、『古式中将棋』(佐藤敬商店)に付録としてついていました、説明書に基づいています。

 で、ここからは私自身が何故中将棋を知る機会にめぐりあったのかという所を、少しだけ紹介させてもらいます。  それは中学生のときに、学校の囲碁・将棋部で部長を務めていたころ、文化祭がありまして、クラブの出展のために顧問の先生と大阪の将棋会館へ資料パネルの借り出しをさせてもらおうということになりまして、見学に行ったときにこれはこれは見事な、歴史のある中将棋の盤駒一式をみてしまい、一目ぼれしてしまったのが始まりです。 それ以来、ことあるごとに中将棋が売られていないか走り回りまして、将棋会館にも再び訪れ、尋ねたのですが販売されてなく、もう大阪にはないだろうとあきらめていたときに、ある親友の情報で、大阪・梅田のロフトという将棋なんかとは似ても似つかない今どきの商品ばかりが売られているデパートの中にひっそりとおいてある事が判明し、早速手に入れたのでした。探し出してから4年くらいかかったと思います。 (ちなみに、現在ロフトでの販売は終了しております。)

 現在は通信販売や一部盤商での制作販売など、入手できる所も少しではありますが増えてきております。日本中将棋連盟のお知らせのコーナーでも現在入手可能な所を紹介していますのでご覧ください。